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今こそシムーン(戦争の虚しさと、そして、人は何故争うのか?) [シムーン]

「2006年を百合色に染め上げる」がキャッチフレーズだったこのアニメ。
蓋を開けてみれば、「男達の大和」のアニメ美少女版とも言うべき硬派なものでしたv

もう5年も経ったといえばそうなのですが、今こそもう一度見ていただきたいなあというアニメでもあります。

ちなみに、前提としてこのシムーンの世界(大空陸)という惑星では、どうも、過去には男女普通に生まれていたらしいのが、途中で「人は最初は全員女性として生まれ、途中で性別を選択する(つまり、大人になるにあたり、本当の意味での女になるのか、あるいは男を選ぶのかという)」という設定なわけで、このあたりも興味深いです。

最初から全員女に生まれているのに、不思議と心は男女に成長と共に分かれていくというか、性別の意味すら微妙というか・・・・・(その意味で「百合」か?というより、同性同士のあれやこれやが禁忌っぽいのは「やおい」系な感じがするという不思議さで)

で、内容はといえば、どう見ても「敗戦必至」の頃に大和に乗り込んでる少年兵視点の「男達の大和」とか、「白虎隊」とかの系統なんですよね~~~~~。


何のために戦うのか? 神に祈るとはなんなのか? 争いとは? etc.の宿題たっぷりの見ごたえあるアニメです。

世の中、どうしても不穏になってくると人は国家に踊らされて戦争へ突き進みがちですが・・・・シムーンを見ると、やっぱり「戦争そのもの」が「不幸の温床」と語っているように思えてなりません。

少女達が無垢な分だけなおのこと。
痛烈にそう感じる作品だと思えてなりません。

ちなみに、第二次大戦あたりをご存知の方が見ると、ふつーにこのアニメは、日本の敗戦を踏まえた日本ならではの(絶対にアメリカなどでは創れないだろう感性の)アニメだろうなと思うこと確実かなと。

なんせ、
主人公達の乗艦している超巨大飛行艇アルクス・プリーマ=戦艦大和
これと同等の大きさの色違いというアルクス・ニゲル=戦艦武蔵

当初圧倒的制空権を持っていたシムーン=零戦

物量と軍事作戦と技術革新により主人公の国を追い詰めていく礁国=アメリカ

第1話の「堕ちた翼」からして、ミッドウェーの大敗北をなぞっている以外のなんだと・・・という、明らかに「敗戦を実体験した国」でなければ創れないアニメだろうと思うのです。

ついでながら、このアニメのラストでは嶺国と礁国が連合軍となり、主人公の国を分割統治した挙句にその数年後には代理戦争でこの分割された国土を舞台に今度は自国民同士が戦争状態になるのは・・・ほとんど米ソの代理戦争時代のころそのままです。
(第二次大戦後の日本は、基本的にはアメリカのみに統治されていたので日本は分割された上での戦争ってありませんでしたけど、朝鮮戦争とかベトナム戦争とかのあたりは、第二次大戦後の戦争ですから、これとも重なるのですね)


もちろんこうした予備知識なくても楽しめるアニメではありますが、知っている方が確実に味わえるアニメでもあります。多分、スタッフさんは意図的に意識してたでしょうし。おかげで、百合アニメというよりは、すごく硬派なものになり、「可愛い女の子がたくさん!」な「だけ」を期待していた諸氏をかなりがっかりさせたとかいう曰くつきらしいとも聞きますが(苦笑)


でもって、スタッフさんも仰る「白虎隊の少女版」といえなくもないのも確かなんですよねえ。

徳川政権への絶対的忠誠心=テンプスパティウムへの信仰

少年らの「知らない故の悲劇的犠牲」+白虎隊にいたのは会津藩の上級武士の子ばかりだった=シムーンに乗るのは当初は、身分の高い者しか許されていなかった。(厳格な身分制度に囚われた悲劇の共通性)

敗戦後における新政府による統治での強制移住他(シムーンのラストはもろにそれでしたし・・・・)


つまりいつの時代においても、戦争というものに正義はない。

けれども戦争はいつも「正義=当人は正しいものと信じているもの」を御旗として行われ、そこに巻き込まれる者に残るのは悲しみしかないのに、国家は英雄や神や奇跡を飾り立てて、哀しみを糊塗しようする。


そういえば、「男達の大和」では、当時の少年兵が「生き残ってしまって申し訳ありません」と号泣したまま心がそこに止まってしまって老齢になった頃に、死んだと思っていた先輩が実は戦後において、自分の家族も恋人も全て失っている中で多くの孤児を育てていたということを孤児の一人から聞いた時「自分は・・・一体何を・・・」と、心が止まったままに60年以上すぎたことを思うシーンがあるわけですが、それとも共通したものがあるなとも思うのですね。

少年の頃に目の当たりにしたあまりもの悲劇から、心が止まってしまった人も多かっただろうなあと。

シムーンの場合も、何故か、その「心が止まったまま」の象徴が主人公らであり、主人公らは、最後まで大人になることさえ拒否したまま消えてしまうのですから、男達の大和の老人のようにいつか何かを省みることがあるのかどうかさえ謎なラストではありますが、でも、どれだけ時を超えたりしても、自分のいた時代から逃げてもきっと最後は同じく号泣することになるんだろうなあとか思います。はい。

(あ、時を超えたといっても、ドミヌーラとリモネの場合は、『なすべきことがあって時を超えた』ので違うと思いますし、『少女』のまま他のこれからの少女達に性別変化のための神託(?)を与え続ける役目を担うことを決断したユンもまた『誰かが担わなければならない役目』を背負っただけなので、やっぱり違うとは思います)


ラストに世界を捨てて消えていった主人公アーエルとネヴィリルに一番近いのは、全てを失ったために「心が止まってしまったままに時が過ぎていった」という、男達の大和の生き残りの少年兵の彼かなあと。
(ま、これは私見ですが。あくまでも。。。。)


どちらにしても、「大人として生きることを拒否して、(ある意味少女のままでいたいとのモラトリアム精神のまま?)に逃げた」のが主人公アーエルとネヴィリルであり、その好対照なのが彼女らの仲間だった他の「大人への選択をした少女ら」であり、更には、その前から「大人にならなければ、この国を支えることはできない」との決意からそうした選択をしたアルクス・プリーマ艦長のアヌビトゥフとシヴュラ統括官であるデュクスのグラギエフかなあと。

この二人の場合は、もともとはシムーンの相方(パル)であり、多分永遠の対であり、まあ、『伴侶』なんだろうなとしか見えないのですが(二人して男を選択したので、多分、あっちの世界の法的には夫婦にはなれない関係なんでしょうけど、どうみても夫婦にしか見えないから!)な、あの二人の人生考えると、これまたシムーンの世界はある種、筋が通るといいますか、縦軸が見え易くなるところがあり、興味深いです。

というか、最初にシムーンのOPを見た瞬間から、何故か「空飛ぶマイマイ!!(←どうもどこかの方言らしいですが、私にとっては、かたつむりとか、アンモナイトのことです・・・・汗)」と「すごい美形ツーショット!!トップと側近!(いえ、アヌビトウフ艦長とデュクスのグラギエフの立ち位置がそう見えただけなんですけど・・・)」というのに目一杯釘付けでしたから。


にしても、映像的には、やっぱり大きなアルクスプリーマの傍らに小さなシムーンが飛行する、OPの浮遊シーンは圧巻ですし、一番好きです。

背景も美しいですし、キャラの表情も素晴らしいですし。

そして、OPのいさぎよいタイトル「美しければそれでいい」

石川千晶さんのあの素晴らしい歌声と共に、あれはいつまでも絶品だと・・・・・・

戦争はね、醜いのですよ。

でも、例えば、零戦とか大和とかのフォルムは美しいし、そこでの人々の生き様は(大きな視点では悲劇でしかなかろうとも)美しいものは確かにあるのです。

なので、逆説的なのですが「美しければそれでいい」。


本当は戦争は、醜い以外の何ものでもないということを大前提として言い切るこの歌は名曲と思います。

いつまでも忘れて欲しくないアニメだあなと思います。(昨今、マンガも小説もアニメも「コンテンツ産業」とかいう産業の渦の中で大量生産されては消えていくものが多すぎて、切ないことしきりですから・・・・)

ちなみに、youtubeで見つけたOP動画
http://youtu.be/8JoFaTtd5Cg

TUTAYAのレンタルとか、あとは前はネット配信もあったのですが・・・今は上手く見つからないのは・・・何故・・・・・(汗)
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