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あけまして、おめでとうございます [シムーン]

というわけで(?)新年のご挨拶を、シムーンのグラキーアちゃんに代行していただきました(笑)

いやん、この子、やっぱ、可愛い~~~!!

ちなみに、元絵は一色で、冬コミの新刊表紙でした。
フルカラーは桜さんからのお年玉♪

さんくすですv


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ここではないどこかに憧れる心を裁くことはできないけれど [シムーン]


シムーンでは、アーエルとネヴィリルは、どっか行っちゃいましたよね。
なんで、どっかへ飛んでいっちゃったんでしょう?
最後までそれが分かりませんでした。

自由?

逃げたってそんなものあるわけないのに。

でも、たまたま見ていた天保異聞妖奇士。
そこでの主人公のセリフ。

「ここではないどこかに憧れるその心を裁くことは俺にはできない」

この言葉には共感できるんですよね。
うん。多分、どこかに逃げたいっていう心そのものは裁けない。
だって、誰だって心のどこかではそう思っているから。

でも、本当に仲間を見捨ててまで逃げた主人公たちには、ちょ~~~~~っち納得いかないのはいまだにシムーンの謎。

翠玉のリ・マージョンは究極の逃避じゃないかとさえ思えてしまう作品に見えるのは何故でしょう?
好きな作品なのに不思議です。


小説版シムーン [シムーン]

シムーン〈第2巻〉

シムーン〈第2巻〉

  • 作者: 小山田 風狂子, 美原 轟, 篠吉 祥, 岡崎 純子
  • 出版社/メーカー: 学習研究社
  • 発売日: 2006/11/22
  • メディア: 文庫


シムーン〈第1巻〉

シムーン〈第1巻〉

  • 作者: 小山田 風狂子, 美原 轟, 篠吉 祥, 岡崎 純子
  • 出版社/メーカー: 学習研究社
  • 発売日: 2006/07
  • メディア: 文庫

え~~と、1巻は素直にオススメです。
アニメだと中々に分かりにくい世界設定とか、人物関係とか簡潔ですけれども、分かり易くなっていて読みやすくて、アニメを見る前も見た後も良いかと思われます。

問題は2巻ですが、2巻の方は、監督自らが『多少筋が通らなくてもいいから、女の子たちのエピソード満載で』とのことだったため、肝心の幹となるべきストーリーそのものが弱くなってしまったのが、ちょっと(いや、かなり)残念でした。
やっぱり感情移入して読むには、単にエピソードを増やせばいいというものではなくて、もっと圧縮した太い幹のような、ストーリーの骨格のようなものがあって、そこに色々とエピソードを、ちょこちょこと増やしていくべきだったんじゃないかなあ?と思えてなりません。

まあ、それでも・・・・同人誌を読む感覚ですと、楽しいといえると思います。
アニメにはなかったエピソードがいろいろとあるという意味と、カラーピンナップがひたすら百合ショットですし。

でも、本音を言うと、やっぱり全二巻で終らせるには無理があったのかな? とも思えます。
アニメでも、なんで、アーエルとネヴィリルが恋に落ちたのかさっぱり謎でしたが、小説でも(女の子のエピソード満載なら、それこそ、そっちを力点おかなきゃと思うんですが!)、結局、なんでネヴィリルがアーエルと『恋』というか『愛』?????になったのかは、謎のままでした。残念。

とはいえ、1巻以上に、アヌビトゥフ艦長とデュクス・グラギエフの仲の良さは、わずかな文章の中で、きらりと輝くように、挿入されておりまして、それだけで、個人的には買い!と思います。

でもって、作中のセリフではありませんが、『なんで、(アヌビトゥフ艦長と、グラギエフは)男と女にならなかったんだろう?』という疑問は、ナイスでした。

ほんと、ほんと、おそらくシムーン最大のなぞはそれですよね!!!!!
と、深く頷きつつ読了したのでありました。


グラギエフさんは12位 [シムーン]

と、ともかく票が入っていてよかった・・・・(涙)

でも、アングラスちゃんは? そして、シムーンは?

・・・・・やっぱり結果発表は、上位だけでなく全部やって欲しいなと思った一瞬でした・・。

でも、女の子たちをかき分けてのデュクスは健闘だと思います。

おめでとう、グラギエフ!


はうっ!!! [シムーン]


艦長三位・・・はいい。いいけど、いいけど、いいけど
最愛のデュクスはどこっ!?

そ、そして、女の子たちの中で、マミーナが二位なのはいい。いいけど、いいけど、

アングラスちゃんは、どこおおおおおおおおおおおおおっ!!!!

思いっきり動揺させられました。おそるべし速報。
・・・・アングラスちゃんと、グラギエフに票が入っていますように・・・南無南無南無・・・


爆笑! [シムーン]


あの妖艶なるドミヌーラお姉様の「味見シーン」の、チュ…の音の正体が、実は…とは!

あははははははははははは~~~~~~~っ!!!!
そ、想像して大笑いしてしまいましたっ!

だって、ギャップが、ギャップが…ひ~~~~~~~~~(お、お腹イタイ)

ヤコフ辻谷先生、おかしすぎますっ!面白すぎです。
ドミヌーラお姉様のチュ、ではなく、実は、メタルジャックの冬木だったのかとか、ハーメルンのバイオリン弾きのライエルだったのかとか、いやいや、普通に考えて素のヤコフ先生=髯のおじさま…

いずれにしても、ドミヌーラお姉様の麗しいシーンに、ヤコフ先生の『指舐めシーン(←うあ、字で書くと、すごいインパクトが…)』が挿入(←…これも字で書くとなんとも)という、爆笑を頂戴いたしました。

に、しても、あの『音』がヤコフ先生だったとは!
今も驚きでいっぱいです。

ちなみに、音はしっかり覚えていますので、余計にリアルです・・・・・・・・・・・・スゴイ話です・・・・


迷い道くねくね・・・・<人気投票清き一票はいずこへ! [シムーン]

ああ、もうっ! どれもこれも捨て難いんですが~~~~~!!!!
と叫びたくなるラインナップ。
しかし、愛しの「アルクス・プリーマ」がないのは何故!?
それに、マスティフが「マナ」ティフになっているように見えるのは気のせい????(汗)

まあ、それはともかく、ウインク艦長には、本気でふらふらと一票入れそうです。
だって、アップなんですもの!

という悩みはさておき、皆様、清き一票を入れましょう。
ああ、でも、悩みはつきない・・・特に、アングラスちゃんが・・・げほがほげほがほ


人気投票開始!!! [シムーン]

わ~~~~~~~!!! ほんとにすごいっ!
ほぼ全員、ほんとに、全員、アングラスちゃんも、嶺国の巫女さんも、礁国の兵士さんまでいるじゃないですか! しかも古代シムーンまで! ヘリカル列車もあるよ!
ああ、びっくりした~~~~~~~~

でも、誰に入れよう??? 悩みますよねっ
前回は、ドミヌーラお姉様と、アヌビトゥフ艦長に入れさせていただいたわけですが、あのウインク艦長に今回も陥落して一票を入れるか、それとも、そっと控えめなる藍色のデュクス、グラギエフさんに入れるか!?
ああ、悩む~~~~~・・・とりあえず、皆さん、入れましょう。
投票に走りましょう~~~~!!!

あ、蔵出シムーン2回目もお見逃しなく。
タンゴの由来とか、男性の声のあれこれとか(個人的には、ハルコンフパパと、対極のアヌビトゥフ艦長の声が云々というあたりに、ゾクゾクじました)、とても興味深い話です。

そしてなるほど、確かに、フランス映画のような感じだったなと今から思えば、頷ける第一回でした。
親切設計というよりも、視聴者に「しっかり視る」ことを要求する不思議な作品。
そんなシムーンが大好きでした。

音楽といえば、マミーナの死のあたりのところも興味がつきません。音楽はあでやかで、でも、シーンは悲惨で・・・というシムーンの裏話を楽しみにしています。


そして、「美しければそれでいい」とは [シムーン]


そういえば、好対照の頂点はといえば、アヌビトゥフとグラギエフの二人でしょうか。

おそらくは、この二人もパルであったことでしょう。
シムーン・シヴュラとして、翠玉のリ・マージョンに挑戦することもできたのではないでしょうか。

でも、それをせず…あえて、「男同士」という茨の道を選んでも、今ここに生きている国に踏みとどまっていった。

そうして、最後に、泉に沈むアルクス・プリーマを見つめながら二人は、どこか幸せそうに言うのです。
「いい風だ」「ええ、いい風です」
これは、アルクス・プリーマという過去を捨て、今また、新たに故郷が戦火に巻き込まれようとしている中、戦いを決意しての言葉のように感じられてなりませんでした。

幻影の少女たちは、踊るだけ。くるくると、くるくると、無邪気に楽しげに、皆の記憶の中で踊るだけ。

けれども、現実を生きるアヌビトゥフとグラギエフの二人は、いつもいつも歯を食いしばって、故郷を守ろうとし、今もまた、その道を行く。行こうとしている。

孤児たちを育てているパライエッタや、それに協力しているロードレアモンにも言えることですが、こうして現実を生きている「大人」の彼らこそが、真実のこの国の救い主なのでしょう。

そしてシヴュラであった彼女たちを「大人」へと導いたアヌビトゥフとグラギエフの生き様は、それこそが本当の意味での主役だったのかもしれない・・・と今は思います。

あるいは、主役の彼女たち、アーエルとネヴィリルが『何もしない自由』を選んだという皮肉の中に、監督は何かメッセージを篭めたのかもしれません。

『今』ここを生きることの大切さを。
幻影に憧れても、結局何もないのだと。

大切なのは、大切な人と共に、大切な人との『今』と今と繋がる未来を守ること。
守ろうとすること。

幻影に逃げても、新天地へ飛んでも、何の解決にもならないのだという痛烈なアニメだったように思えてなりません。

それでも、画像は最後まで美しく、輝くほどで、「美しければそれでいい」というOPテーマが徹底したアニメでもあったなあとも思います。
でも、本当は「美しいだけでは何の解決にもならない」ということが隠れテーマだったのかもしれません。
アーエルとネヴィリルは美しいけれども、何も解決していきませんでしたから。二人は、二人のためだけの自由を得て去って行ったのですから。

ですが、アヌビトゥフとグラギエフの二人は美しいだけではなく、常に、国を、故郷を、他者を愁い守りこれからも守っていくのでしょう。この二人は「美しいだけ」ではなく、強さがあり、その信念のような姿の美しさは、仮に、この後、二人が国土の回復や、戦争の回避といったことができなかったとしても、その「心の美しさ」は永遠に消えず、それこそが「美しければそれでいい」という真の意味にさえ思えてなりません。

それは、パライエッタの台詞にも代表されます。
孤児たちの世話をしながら、彼女は言っています。
「彼らは希望の種・・・」と。

宮主の言っていた、翠玉のリ・マージョンこそが希望の種と言っていたことと、なんと違う美しさがここにはあるのでしょう!

果たしてスタッフの、監督の真意は、私には測りかねます。
ファンタジーの定番の通り、「後はご想像におまかせします」という手法とも言えるでしょう。

でも、私は信じたいです。

美しければそれでいい。けれども、その美しさは、現実に足を踏みしめてのものでなければならないのだと。

だから、最後のアーエルとネヴィリルのダンスシーンは…これは、一種の「究極のモラトリアム」に対するアンチテーゼを叫んでいるのだと。

だって、逃げても仕方ないじゃないですか。
今、という現実を見つめ、その上で幸せになる姿こそが美しいのですから。


永遠の少女は、ただ踊る。 [シムーン]


最終回、感慨深く見つめておりました。
まずは、スタッフの皆様、これだけの作品を本当にお疲れ様でした。
テーマが深遠で伝わるかどうか、視聴率至上主義のこの世界でよくぞここまで、
と、ある種の感動さえ覚えました。

ことに最終回。
印象的だったのは、ラストのアーエルとネヴィリルの幻影がいつまでも踊っているシーンでした。

少女たちは幸せそうに、くるくると、くるくると、音楽に合わせて幸せそうに、楽しそうに、嬉しそうに。
その姿は美しく、可憐で、そうであるからこそ幻影でしかないとつきつけるエンド。
これは、本当に最終回まで予想さえもしていませんでした。

何故、アーエルとネヴィリルは翠玉のリ・マージョンを行ったのか?

そこに「意味」を与えても価値などない、とアヌビトゥフは言い切っていますが、本当にその通りだろうと思います。

彼女たちは、誰かのためではなく、「行きましょう、自由になれる場所へ」との言葉の通り、現実の世界を捨て、自分たちの自由のために飛び去ったのです。
それこそが、当初から監督が描こうとした少女の無邪気さと残酷さというものだったのでしょう。
ラストのダンスシーンにはそれが、ぞくぞくと背筋に寒気がするほど伝わって、怖いほどでした。

この物語は、本当に不思議な物語で、普通ならば、アニメの主人公というものは、国なり仲間なりを最終的には救うという役割を担っているというのが定番なのですが、それを、真っ向から否定したアニメだとも言えるかと思います。

なぜならば、アーエルとネヴィリルは、何もしていないのです。

ただ、・・・翠玉のリ・マージョンによって、飛び立ち、今もきっと、どこかでくるくるとくるくると無邪気に踊るように、リ・マージョンを繰り返しているのでしょう。
その結果として、自分たちの時空間移動が、世界にどのような影響を与えるかなど考えることもなく。ただただ、自分たちが自由になるために。
そして、最後には、泉を選ばない以上は、オナシアやドミヌーラのように、身体が少女のまま砕け散る。
それでも、きっと当人たちは自分たちが何をしたのか気付かない。
無邪気に踊り続け、そして、いつかは砕けて跡形もなく消えてゆく。何一つ残さずに。

「異世界」への憧れは、少女期特有のものとは言いますが、ここまで、その残酷さを抉り出したアニメもめずらしいと、思います。

殊に、主人公たちの翠玉のリ・マージョンは、故郷を救うこともなく、何もなく、むしろ、ひょっとしたら、自分たちの時空間飛行の影響によって、故郷が嶺国と礁国に二分され、かつての仲間たちが、まるで南北の朝鮮戦争か、ベトナム戦争のように悲惨な戦いに巻き込まれるかもしれないということさえ知らない。知らないまま、シムーンでの翠玉のリ・マージョンを舞い続ける。

本当に、「大人」にならない少女というのは、残酷なものだ…と、思わざるをえません。

ひょっとしたら、監督はそれを伝えたかったのでしょうか?とさえ、思ってしまいます。
パライエッタの台詞ではありませんが、「希望の大地」は、翠玉のリ・マージョンで辿り着くどこかというような「異世界」ではなく、「今」踏みしめているここなのだと。

その意味では、「今」をしっかりと生きている、パライエッタ、ロードレアモン、フロエ、ヴューラ、モリナス、カイム、アルティの姿は好対照でした。
同じく翠玉のリ・マージョンにより太古の世界へと飛んでしまったドミヌーラとリモネの行く末だけは、どうにも不穏でしたが、どこか、泉を見つけて、オナシアのようにならないことを祈るばかりです。