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「こころのひかり」ゼロワンが見た、さだまさしの「償い」の世界 [ケータイ捜査官7]

事故で盲目になってしまった少女。
彼女は六年間の時を経て、世の中を恨むのではなく、前を向いて一人で自分の力で未来を切り開いていく道を選んだ。
それは、目にはもはや映らない光であっても、確かに「こころのひかり」

・・・・泣けました・・・・・

このコンセプトって、ほとんど、さだまさしの「償い」という歌そのもののシチュエーションなんですが、それでも、居眠り運転でまだ中学生だった少女を信号無視で失明させたことへの悔恨を、必死に働いたお金を、視覚障害者団体へ寄付し、本人はただ働き詰めで、そして、楽しむこともなく、毎月、被害者である彼女が読めないことを分かっていて謝罪の手紙を出し続け、彼女の母はその手紙の封を切ることさえなく封印する。

そんな状況の彼女と偶然であったゼロワンが疑問に思ったのは「何故、お前は恨みに思わない?」という人間の心の不可思議さ。

彼女の言う「時間・・・かな」という言葉にも「あなたのお陰で(加害者の)矢部さんともお話できた。大きな忘れ物をしていたの私」というその言葉も、フォンブレイバーであり機械であるゼロワンには分からない。

分からないけれど、何かが彼の回路を疼く。


それは、一方で、セブンの足の部分が故障しただけで、真っ青になってすぐ修理へと運ぶケイタとセブンの絆とあまりにも好対照で、切なくて、切なくて・・・・

そうして、結局、ゼロワンは「ケイタとセブン」の絆を確かめることで、己の疑問であるところの「人間とはなんだ。俺はなんで存在している?」ということの解を求めようと、また暴走するのでしょうね・・・。

ゼロワンもまた、悲劇の存在。

ただ、今回の少女の話はフィクションであろうとも、ラストで『最初は、白杖の彼女を突き飛ばしても知らん顔しかできなかった青年が、彼女が横断歩道を渡りあぐねているのを、腕を貸して渡らせて』というシーンは、今はないかもしれないけれども、そうあったらいいなという『優しさ』が凝縮した世界でもありました。

全編流れるアヴェマリアの歌も良かった!
やはり、ケータイ7は・・・こういう一話完結のぎゅっとしたものがいいです。そして、泣いたり笑ったりさせてくれるのがいいです。

フィクションでいいのです。人間とケイタイというより、そもそも人間とは? コミュニケーションとは? 絆とは? その根源をつきつけてくる「ケータイ7」 だけど温かいこの世界。

そこに作り手の愛や願いが溢れるほどにある物語。
それがこのシリーズの根幹なのでしょうから。
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